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旅の記録~広島・宮島・出雲~その5

2日目続き ~広島市内~

※旅の行程

1日目:札幌→広島着(18時)
2日目:宮島→広島市内→出雲へ高速バスで移動
3日目:須佐神社→出雲大社→日御碕神社、日御碕峠→八重垣神社(レンタカー)
4日目:足立美術館→米子空港→羽田→千歳で帰宅

広電に乗り原爆ドーム前に降りたら昼12時を過ぎた頃。
降りてすぐ目の前にある原爆ドームは、晴れてきた空とのコントラストで
昨日の夜に見た雰囲気とはまた違う不気味さがありました。
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しかし天気もだんだん良くなってきた中、週末なのもあるのか、人がいっぱい。
川のほとりでフラメンコ?のミニイベントをやってたり
路上演奏してる若者が居たり、ほのぼのした普通の公園の一面もありました。
私も空いてるベンチに腰掛け、もみじまんじゅうで一息wした後、
公園内のモニュメントを見てまわりながら平和記念資料館へ。
この時点で予定より時間に余裕もあったので、
展示されている写真と文章もじっくり読みつつ順路どおりに進む。

被爆前の広島の紹介、原爆開発に着手した経緯や何故広島だったのかなど
初めて知る事実がたくさんありました。
広島平和記念資料館のウェブサイト上でも展示と同じ情報が見れるんですね。
見る物読む物全て強烈だったのですが、中でも1番印象に残ったのは順路通りに進んで最後の方に展示されていた市民が書いた原爆の絵の中の一枚。

三昼夜水を求めて叫び続け死んだ女性に、あの時一杯の水を与えなかった事を今でも悔やむ、という方が書いた絵。

これら被爆者の方がご自身の体験を描いた「市民が描いた原爆の絵」は1974(昭和49)年、被爆者(ひばくしゃ)が描いた1枚の絵がきっかけで、NHK広島放送局が「市民の手で原爆(げんばく)の絵を残そう」と呼びかけたところ、2,225枚に及ぶ絵が寄せられたのだそうです。
平和データベースでもたくさんの絵が見れます。
橋に外国人の兵士が鎖で繋げられ亡くなっていて、可哀相にと手を合わせたという絵もありました。
あの最中自分の事や周辺の事でもいっぱいいっぱいだったでしょうに、
敵であっても(可哀相に)(親兄弟に知らせてあげたい)など慈悲に溢れる言葉がいくつもあったのにジーンときました。
とにかく、リアルな絵ばかりで、よく原爆体験者の方が過去を語りたがらなかった(ない)というのが何となくわかるような気がしました。
辛い記憶を辿るのは辛かっただろうなと気の毒で仕方ありませんでした。
でも、これらの絵の存在も知る事が出来て良かった。
資料館は本当に行って良かった。

さてさて資料館には2時間滞在し、出たら15時半ぐらい。
出雲の高速バスまではあと3時間。
予定よりけっこう早く行程を消化したなと思いつつお土産買いに街中へ。

土曜だったから?街中の活気がすごくてびっくりました。
人がわんさか居て、どのお店も人で溢れかえってて満杯。
そんな中キョロキョロしつつwガイドブックに掲載されていた長崎屋、
そしてパルコで服を見たりw
三越だと思って入ったら天満屋(?)でおたふくのスパイシーソース(セールで198円w)やお土産買った後、テクテク歩いて駅前に。
全然余裕で歩けましたがバッグのカープソースと牡蠣醤油(多数w)が重かった。
んが、駅前でも余裕で売っていた。これ失敗ww

そうして駅前に着いたのが17時前、まだ時間があったのでマックでコーヒー買って
またもみじまんじゅうをモグモグしたりw
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まだ時間あったのでサンマルクカフェでコーヒーとチョコクロ(ストロベリー!)←すごい余計w
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そしてそろそろ良いかとニヤニヤしつつみっちゃん新幹線口名店街
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このおたふくソース入れをどっかのデパ地下?で買うかどうすべかと
悩んで止めたw
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直前のもみまん(略すなw)とチョコクロ&ビアのパンチがきつくて
お好み焼きはそば無しの「イカ天入り」だったか。
しかしこれ、ぶっちゃけ原価率すげえ低い;さkjkjw

でもめちゃ美味しくてビアと最高に合って至福大福の時間でしたv

お好み焼きは麗ちゃんとみっちゃんしか行けなかったし
そば入り、そば無し、で比較しようが無いのだけれど・・
麗ちゃんの方が好みだったかな、今度はみっちゃんでそば入り食べたい!

そうして満足満腹で、出雲行きの高速バスに乗り込んで
即爆睡したのでありました。

~まだまだ続く~

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